【フリーランスとして生きる6】菅野 将輝さん

 フリーランスとして働いている方にリレー形式でエッセーを執筆していただいています。第6回は菅野 将輝さんです。

26年間生きてきて自分に魅力を感じたことがなかった

出典:pixabay

 

ボクは26歳でサラリーマンを辞めましたが、「会社に縛られたくない」という理由で、フリーランスになったわけではありません。どちらかといえば、発達障害持ちの社会不適合者で「フリーランスになるしかなかった側」の人間です。

 学生時代、社会人生活を通じて、自分に魅力を感じたことなんて一切ありませんでした。 

親にも褒められた経験なんてほとんどなかったので、「他の子たちは褒められているのに、なんでボクだけ褒められないの?」と、劣等感ばかり感じていたことを覚えています。そんな生活が26年間続いてきたので、自己肯定感なんてまったくありませんでした。 

常に、自分よりレベルの低い人たちを見ては、ほっとしている自分がいたことも事実です。

 

18歳でギャンブルの世界へ足を踏み入れた

 ボクは地方の出身で、現在も実家で暮らしています。実は、親兄弟を含めた男性陣が全員ギャンブル好きだったので、幼い頃からギャンブルのなかにいたといってもいいのかもしれません。そうしたことから、半ば当然のように高校を卒業したと同時にギャンブルの世界へ足を踏み入れることになります。 

きっかけは、兄に連れられてパチンコ屋に行ったことでした。 

お金はすべて兄持ちでしたが、その頃から金銭感覚が狂っていったのかもしれません。1日で、2人合わせて11万円負けたこともありました。 

兄のガチっぷりから、ボクはいつしか兄と一緒に行かずに、友人や先輩、もしくは1人だけで行くようになりました。

 

フリーライターとして活動をしつつギャンブルはやめられなかった

 

サラリーマン時代からもフリーランスになってからも、ギャンブルだけはやめられませんでした。

当時、自宅の目の前にパチンコ屋があって、自分の部屋に大当たりの音が聞こえてくる、そんな環境だったことも一因でしょうか。

当時は、「今が楽しければそれで良い」という考え方だったので、ライターとしての執筆活動が終わったら、パチンコをやりに行くこともザラでした。 

ライターで稼いだお金の8割以上は、パチンコに消えていく……そんな日々が続きます。

 

突如訪れた人生の転機

出典:pixabay

 

そんな人生を歩んできたボクにも、人生の転機が訪れます。祖父との「死別」です。死因は肺炎で、享年97歳で大往生でした。 

母から聞いたのですが、最後の入院をする前は「今回のはいつもと違う感じがした」と言っていたことを覚えています。

そして、最期まで、自分の心配よりもボクの心配をしてくれていたことを聞きました。ボクにとって祖父は、尊敬している人物の1人です。祖父と死別したとき、自分の中で「オレは一体、何をやっているんだ」と、自分に対してブチ切れたことを覚えています。 

「いまのボクだったら、死んだときに祖父に顔向けできない、変わろう」 

本気でそう思いました。 

「努力」という言葉が大嫌いだったボクが、初めて努力と向き合おうと決意した瞬間でした。

 

28歳にして「時間の大切さ」を痛感する

出典:pixabay

 

ボクは20歳から、6年間医療事務員として仕事をしてきて、その後フリーライターに転身しました。今年で3年目です。 

ボクの概念を変えたのが、SNSでのいろいろなライターさんとの出逢い。 ライターとして結果を出している方々が、共通して言っていたのが「時間の大切さ」でした。 

  • 誰のために時間を割くか
  • どんな仕事をしたいのか
  • 仕事をするためにどれくらい時間を割く必要があるのか
  • ひとつの分野で突き抜けるくらい勉強した方がいい

 すべて、SNSで知り合ったライターさんに言われたことです。 

今年は、バズ部主催のライティングセミナーにも、初めて参加してきました。 

「時間の大切さ」を意識するようになって、自力で努力して稼いだお金を、パチンコで溶かすという経験を経て、ようやく「ギャンブルなしの人生」がスタートしたのです。 

「仕事の結果にフォーカスするようになった」といえばいいでしょうか。28歳で、このことに気付けて行動に移せるようになった自分を、褒めてあげたいくらいです。

 

フリーランスという生き方と真剣に向き合って初めて分かったこと

出典:pixabay

 

ボクがフリーランスという生き方と、真剣に向き合い始めたのは、実は最近の話です。それまでは、実家に甘えていたのかもしれません。真剣に向き合って初めて分かったことは、毎日の積み重ねでしか結果を出すことはできないということでしょう。 

ボクが初めてライターとして受けた案件は、いわゆるまとめ記事の作成でした。自己肯定感が低すぎたので、仕事をして修正依頼が来たら、評価してもらえていないと思い込んで、すぐに次の仕事へ移行していったのを覚えています。 

最初の頃は、1ヶ月でクライアントさんが23社変わるのは普通でした。最初の1記事に全力を注いで、残りの記事は失速していくという日々が続きました。 ただ、そういう経験をしたからこそ、今新たな生き方を模索できているのではないかと思っています。

ボクにとって、フリーランスとしての生き方で大切なことは、フリーランスとして生きる覚悟と、無理なく継続できる方法を探し出すことだと思っています。 

むしろ、この2つさえ定着させてしまえば、フリーランスとして成功することはあっても、失敗することはないのだろうと考えています。最近、やっと基盤が整ってきた感じがしていて、ボクの進化はこれからだと考えているところです。 

障害を持っている人たちが、フリーランスになったときのマインドとして、参考にしていただければと思い、記事を書かせていただきました。

(文:菅野 将輝)

おすすめの記事