【フリーランスとして生きる9】 ライター 増田 真吾

フリーランスとして活動している方にリレー形式でエッセーを執筆いただいています。第9回はフリーランスとして活躍中の増田真吾さんです。

フリーランスのWebライターになったのはたまたま

出典:pixabay

 

僕がWebライターの仕事を始めたのは、20169月のことです。現在フリーランスとして活動されている方も経験があると思いますが、僕もよく「きっかけは何?」といろいろな方から聞かれることがあります。

 

正直に言ってしまうと、この質問が非常に困りものです。何故なら、Webライターになりたいどころか、Webライターという職業すらよくわからない状況でWebライターになってしまったのですから。

 

Webに限らず、文章を書くことを仕事にしたいと夢を追っている方には怒られそうですが、僕は今までほとんど本を読んだことがなく、作文の類も嫌いです。(読んだのはHKSチューニング理論という車マニア向けの本と、一時的に流行ったダヴィンチコードぐらいです。笑)

 

小学生の時に出された読書感想文の宿題も、映画で見たことある話の本を買って、前書きと後書きだけ読んで提出してしまうほど……。

 

ではなぜそんな文章と無縁の僕が、フリーランスのWebライターとして仕事をしているのかということになりますね。その理由は、僕には収入に関係なくやめるにやめられないライフワークがあるからです。

 

ライフワークとライスワークをどう両立させるか

ご本人提供

僕のライフワークとは、小学5年生から続けている和太鼓です。当時地元の夏祭りで、櫓の一番高いところで太鼓を叩いている姿に惹かれ、父親とともに地元の愛好会に入会しことがきっかけ。もちろん、その頃はここまで続けることになるなんて思ってもいませんでした。

 

で、現在は和太鼓を始めるきっかけとなった地元の愛好会を引き継ぎ、年間を通してあらゆる場所で演奏するチームの代表をやりつつ、東京にある老舗和太鼓プロチームのメンバーとして活動しています。この経緯はものすごく長くなるので割愛しますが、勤め人だったころも含め、和太鼓の活動はずっと続けているライフワークなんです。

 

ライフワークと言うと、なんだか聞こえは良いですが、それは、費やした時間に収入が伴っていればの話。和太鼓で完全なプロになるという選択しもなかったわけではないですが、地元のチームを預かっている僕には、プロになるという道を選ぶことはできませんでした。

 

地元の和太鼓チームはプロ化するつもりは全くないため、和太鼓だけで食べていくことはできず、僕は20歳の頃から自動車整備士としてご飯を食べてきたのです。

 

そんなこんなで、和太鼓奏者と自動車整備士という2足の草鞋を履いてきたわけですが、気が付けば30代半ば。これからどうやってご飯を食べて、和太鼓を続けていくか毎日悩んでいました。

 

40歳までに人生のケリをつける」そう漠然と考えたのもちょうどそのころだった気がします。

 

人生は一度きりだから今を大切にすることを選んだ

 

ケリをつけると決意したものの、いきなり具体的に動けたわけではありません。このまま勤め人を続けることももちろん考えました。でも、このままじゃ会社にも自分自身にも良くないなと思ったんです。

 

その頃、某大手中古車販売店の本部に勤務していたんですが、僕が太鼓だというと、皆気持ちよく休みをくれたり、早上がりを許してくれました。しかし、それなりに責任のある立場であるにも関わらず、自由にさせてもらっている状況がありがたい反面、しんどく感じることが日に日に増えていきました。

 

40歳までにケリをつけると決めたことに加え、今の状況に甘えている自分に嫌気がさしていたことも相まって、「よし!辞めよう!」となったのです。とは言うものの、ほかの企業に転職しても意味がありませんし、何かツテがあるわけではありません。

 

普通だったらその時点で退職することをあきらめるものです。それまでの僕もそうでしたが、この時は、何とかなる気がしていたんです。一か所に務めて生計を立てるのではなく、細かい仕事をして生計を立てればいいかな?程度に思っていました。今考えれば無謀もいいとこ、とても人様に勧められる方法ではありませんね。()

 

でもですよ。ありきたりな言葉かもしれませんが、人生は一度きり。明日道を歩いていたら、突然隕石が頭に直撃するかもしれません。あと何年生きられるかなんて誰にも分りません。

 

だからこそ、今を生きること、今を輝かせることが大切であり、その積み重ねが未来へとつながっていくものだと思っています。だからいつ何が起こっても後悔しない方を選ぶようにしているのです。

 

Webライターを始めて3か月目でやっていけると確信した

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その細かい仕事の一つに、アフィリエイトがあったのですが、過去にチョロっと手を出してほとんど稼げなかった経験があり、やるなら時間のある今こそ本気でやろうと決意。アフィリエイトの極意や、文章の書き方を学ぼうと、ブログやサイトを見ていると、ある1人アフィリエイターのブログに「文章を勉強したいなら、Webライターがおすすめ」と書いてあったんです。

 

確かに、Webライターなら少額でもお金をもらいながら、クライアントさんにアカをつけてもらえます。これは学べてお小遣いが稼げて一石二鳥じゃないか!となったわけです。

クラウドワークスやランサーズといったクラウドソーシングのおかげで、今まで実績がなくてもWebライターの仕事はありそうだということに気が付き、即登録してみました。

 

はじめは皆さんと同じように、文字単価にすると0.5円とかいう仕事を何本かやり、「Webライターの仕事ってのは大変だなぁ」と思ったのが正直な感想です。でも、僕の目標はあくまでアフィリエイトだったので、特にしんどいと思うことはありませんでした。

 

そんな感じで1か月くらいお仕事をしていたら、とあるクライアントさんから、まとまったお仕事をいただくことができ、なんとその時の文字単価は1.1円!そのお仕事で発生する報酬額の合計は50万円!

 

もちろん1か月でこなせる量ではなかったのですが、Webライターとしてだけでなく、当時はほかのお仕事もあったので、Webライターとしては月にすると10万円~15万円くらいを稼がせてもらっていました。

 

そのまま仕事を続けていると、ちょっと頑張って工夫したプロフィールの効果か、徐々にこちらから提案をしなくてもお仕事の依頼をいただけるようになります。当時の単価は1.5円~2.0円だったのですが、11万文字書けば日給1.5万円~2.0万円。仮に20日稼働すれば3040万円の月収です。

 

「これなら食べていける!」

 

何もツテがない状態からWebライターを始め、約3か月後の20171月には、そんな風に思える状態になっていました。

 

フリーランスであり続けるためには、現状に感謝しつつ常に前進すること

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今ではある程度安定してお仕事をいただき、月収は会社員時代よりも多いと言える状態です。また、おかげさまで和太鼓奏者としても、勤め人のとき以上に時間を割くことができ、つい先日も渋谷のライブに参加してきました。

 

しかし、僕は今でも「自分は文章を書ける」「自分の文章が誰かのためになる」と自信を持って言うことはできません。

 

もちろん、お仕事として受けている以上、求められている物以上の納品物を創出することは心がけています。でも、今の自分があるのは、これまで僕にお仕事を振ってくれたクライアントさんのおかげです。

 

これからの目標はWebライターとしてのお仕事は続けつつ、地域の方と協力して、オンラインとオフラインを融合させながら、小さな雇用を生み出していきたいと思っています。そしてその想いは、徐々にですが形になり始めてきました。

 

病気や身体的な理由、音楽や演劇の道を志している人、そして育児で忙しいお母さんなど、フルタイムで働くことが難しいという人に、ほんの少しでも生活が楽になるお手伝いをしたい!そんなことを目標に、これからも日々前進していきます!

(文:増田真吾)

フリーランスライター兼エディター。自動車整備士/検査員の経験を活かし、レースから整備、車検、中古車、そしてメカニカルな分野まで幅広く対応可能。現在はWebデザイナーの妻とともに、Web屋【Gocolab.(ごこラボ.)】として、サイト制作や名刺デザインなど、地域に根差した活動を行っている。

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